人はいつも、整った言葉で自分の気持ちを語れるわけではありません。思いが途中でとぎれたり、同じことを繰り返したり、言葉が浮かばず沈黙してしまうことがあります。とくに心が苦しいときには、そうした「言葉にならないこころ」が前に出てくるものです。
崎尾英子『こころを聞く』(大修館書店, 2001)は、まさにその「語れない」「沈黙してしまう」こころを臨床の中心に据える一冊です。語りが断片的でも、沈黙が長くても、それを欠けたものと見なさず、その人ならではの大切な表現として受けとめる姿勢を静かに教えてくれます。
私たちは、自分の気持ちを自分で選んで表現しているつもりでいても、実際には「話しているうちに初めて気づく」「黙っている時間のあとにようやく形になる」といった経験を重ねています。本書は、こうした「言葉になる前のこころの時間」に光をあて、その時間を大切にすることが支えにつながると伝えます。
この本が示すのは、「上手に話すこと」を目標にしないカウンセリングの姿です。断片的な語りや沈黙も、絵や音楽のように、その人にしかできない表現として尊重されます。効率や正確さを急がず、「いまここにあるもの」をそのまま受けとめることで、安心して自分を出せる場が育っていきます。
理解は、一方的に与えられるものではなく、語る人と聞く人の関わりの中から少しずつ生まれてきます。うまく話せなくても、相手が耳を澄ましてくれる──その関係のなかで、これまで見えなかった意味が浮かび上がってくる。『こころを聞く』は、その生成の場に立ち会うための姿勢をやさしく示します。
面接室で出会う多くの方にとって、「話せない自分」「沈黙してしまう自分」を責めないでいられることは、回復の大切な一歩です。臨床の現場に携わる者としても、本書は何度読み返しても原点に立ち返らせてくれます。ページをめくるたびに、「ことばにならない思い」にも確かな価値があることを感じ取っていただけるでしょう。
書誌情報:大修館書店/2001年/単行本 250ページ/ISBN-13:978-4469212679